大量殺人からもう1年が過ぎました。
殺人をした本人は、「障碍者や高齢者は、死んだ方が良い」と簡単に言えば、すごく分かりやすいので、杉納得することもできる。たしかに、介護といことは人間に予想をはるかぬ
こえた重労働である。抱いたり抱えたり、車いすをしたり、おむつを取り替えて、食事を与える。夜中に騒ぎ出して呼んでいる。そんなことが毎日毎日繰り返されるのである。
大変な負担であることは、間違いないことで、介護される方もする方もとても一言では言い切れない苦労を背負っている。
結論を出すわけではない、本来生物は生まれてくれば、どんなものでも生きる努力をする、人間だけでない動物なども生きるように努力するのである。
昔から、病気や戦争で多くの人間が殺し合いをしてきた事実もある、とても悲しい残虐な行為をしたものが、支配階級になってきた。武器と作り、新兵器を開発して暴力で支配を強めてきたのが近代の歴史ではないだろうか。こうした中でも弱く生まれたり、障害があれば、こっそり始末してきたのが実態ではなのです。もうとっくに亡くなった祖母が笑いながら話てくれたものだ。
1年前は殺人犯怒りを覚えたものだが、だんだん社会の犠牲者に見えてきたのはm私だけではないはずである。一つだけ問題を提起してこのページを終わりたい。
今の社会がどうなっているかなのです。子供の自殺が減るどころか増える状況が作られている。国は対策法案を出して対策を進めているようなのだか、明るい話題はないようだ。最近の社会の一部である学校で「いじめは」が後を絶たない、その延長である、企業でも「いじめ」長時間労働が犠牲者を出している。こうなる根本の原因が何にあるのか考えなければ、解決には進まないようにおもえるのです。今回はここで終わります。次回はあるのかないのか自分でもわかりませんが、体調と思考がととのえば何か書く気にれのではないでしょうか?
この写真もギャラリーからお借りしました。大きな自然を大切にして共存しましょう。
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